私の父は他系統萎縮症②
ある日 母から 父が転んで血が止まらないみたいやからちょっと見てきてくれない?との電話がきた。母に今どこにいるん?と聞くとホテルで体調があまり良くないようで帰れないとのこと。
心配で急いで実家にかけつけてみると 父の右眉の上と右頭を少し切ってしまったみたいで血は止まりかけていたが 枕などが血痕でいっぱいだった。
着替えをさせ 傷の手当てをしてしばらく様子を見る。その間洗濯をしに洗面所へ行く。ホッとしたのと 自分でやろうと頑張ったのに大怪我をしてしまい申し訳ないという表情の父のことを想い 涙が止まらなくなり1人洗面所で泣いた。この病は進行はゆっくりだが確実に父の脳や身体を蝕んでいく。当たり前に出来ていたことをすこしずつ少しずつ奪っていく。見ていて辛くなる。会うたびに言葉が聞き取りにくくなっていたり ボーっとしていたりよろけたりすぐ忘れたり。。最終は寝たきりになるんだそう。。命があるのだからと自分に言い聞かせてみるが このブログを書きながら少し先の父の未来を想像するだけで涙が止まらなくなる。
洗濯機をセットし涙を拭いて父の元へ戻る。夕飯まだ食べてないと言う父はなんだか痩せて小さくなっていた気がした。
父は自分でスープに餅を入れ食べ始めた。
どこで転んだのか聞くと分からないと言う。今日は何してたの?と聞くと自転車で病院に行ってきたと言う。自宅からかなり距離がある病院なので 本当か?と思いながら他に話しを聞く。
近くのかかりつけ医への術後のケア用で紹介状をもらってきたらしい。紹介状があったので本当だったようだ。
車の運転はドクターストップがかかっているが自転車はバランス感覚がいるし 判断力も必要だからやはり車同様駄目だよなと思ったが父なりに考えてそうしたんだから そのことについては攻めたりしないようにした。自宅から病院までの道中は交通量も多いし 坂道ばかりだしよく命が無事で帰ることができたなとも思った。 また自転車に乗りたくなったら 遠慮なく必ず私を呼んでねと伝えた。うん。とは言っていたが連絡くれるのだろうか。
母はいつ帰るのか父にたずねると多分来週くらいとの返事。何日か前からホテルに泊まっていて 父はしばらく一人だったらしい。
食事は? インスタントのコーンスープにもちを2個いれたものを食べていると言う。そればかりを食べているらしい。
父は料理洗濯掃除 元々しない人なのでそのめんどくさがりな所に さらに脳の病気と軽い認知症のせいか 洗濯もかごに入れっぱなしだし洗い物も溜まっていた。
今の状態の父を置いて一人 ホテルに泊まっている母。何の連絡もなしに。私は夫婦ではないから本当のところはわからないし 毎日父の世話をしていたわけではない。だから偉そうなことは言えない。父は物をよく忘れてくるし 大怪我もよくする。言葉も伝わりにくい。家のことを一切してこなかった。今の状況になっても料理や洗濯 もちろん掃除なんてやる気配すらない。TVばかり観ている。歩くのが症状の進行速度をゆっくりにするのに 自ら全く歩こうともしない。何度言っても歩かない。ずっと一緒でワンオペでは相当しんどいと思う。
母は色々考えて一生懸命父につくしているが そんな母に父は暴言を吐いているという。通帳や財布をどこかへ忘れてきたり鍵をなくしたり毎日色んなことが起きる。母は振り回され、ずっとついて回らないとだめなの?!と言っている時もあった。父から母へ感謝の言葉ひとつもない。お互い若くもない。母も身体もそんなに強くない。だから離れたかったんだとは思う。理由はそれだけではないとも思う。長年の積み重ねなどもあると思う。何も言わずにそうしているのは子どもに心配をかけさせたくないという思いも分かる。何もかも母や周りがやってしまう状況を改善したかったのかもしれない。でも今の父の状況は心配しかない。
③に続く
#他系統萎縮症 #難病 #父
私の父は他系統萎縮症①
他系統萎縮症とは神経系の異常があらわれる病気。
指定難病。
病気が進行すると、歩きづらくなる、ふらつく、しゃべりづらくなる、転びやすい、飲み込みにくい、おしっこの障害、立ちくらみがするなどの症状が出る。
父は他系統萎縮症と診断されてから 1年と8か月くらい。現時点での症状はおそらく全てあてはまると思う。前よりも喋りづらくなっているようで 父の伝えたいことが伝わらず 父が困っている所をよく見る。
食欲はある 笑。だがあんなに早食いだったのに(私が半分くらい食べた時点でもう完食し店を出たがっていた)この間食べている様子をみると かなりゆっくりになっていて私が完食した時点でまだ半分という逆転現象が起きていた。ゆっくりだったが完食はしていた。
萎縮症と診断されてから母は病気の進行を少しでも遅らせようと 毎日かかさずウォーキングに連れ出し 良いと聞いた食事を出し 大変大変もういやだと言いながらも一生懸命父のために色々とつくしてきた。
そのおかげだと思うが 父の足腰はしっかりしている方だと思う。
大変もう限界と母に会うたびに聞いていたので 私が代われない時は 要介助などで助けを求められないのか母に聞いてみたがまだ自立しているからなあとの返答。ケアマネさんは何て言ってるのかたずねてもちゃんとした答えをくれず、、もしかしたら母はまだ頼りたくないのかなと私は思った。
私は車ですぐ駆けつけられる距離の所に家族五人で住んでいるため 普段は母が父を連れ出し 何かあったら私、遠方の用事は私がという感じで過ごしている。
弟夫婦も週末に父を連れ出し 母をゆっくりさせてあげたり、できるものが出来ることをしていた。
しかし 今年の年末 母は突然父を置いてホテル(割と安い所を探して)で連泊をした。始めはたまには息抜きも必要だよなと思い放っておいたが 長くても3日くらいと考えていたが1週間以上も連泊したり帰ったりを繰り返しているらしい。
②へ続く
#他系統萎縮症 #指定難病 #父
金胎寺山
河内長野駅から歩いて 富田林最高峰の金胎寺山へ行ってきました。
近鉄河内長野駅を降りて左側へ歩いていくとおばな旅館があります。
そのまままっすぐ歩いて橋を渡り 歩行者信号を渡ってひたすらまっすぐ。
金比羅神社を過ぎてそのまま道なりに進むと
登山口への案内看板が右手に見えます。
イノシシ対策?の門を開けて登山開始です。
山頂までは30分くらいかなと思います。
楠木軍兵舎跡
山頂まで道案内の看板がたくさんあるのでよほどのことがない限り道は迷いません。
右が桜公園
左へ進みます
奥はトイレだそうです。
山頂まで10メートル
山頂に到着。
六甲山や明石海峡大橋がうっすらと見えます。
お天気も良く眺望も最高です。
高さ約296メートルの山ですが 山頂まで少し息があがり汗をかくことができ、かなり良い運動になりました。
人も少なく 密にならないので自粛生活で運動不足解消に良いところだなと思いました!
#金胎寺山 #河内長野