私の父は他系統萎縮症⑧
先日 娘の部活でイベントがあり 父も誘って行く。普段特に予定も用事もないので良い刺激になるかなと思ったので。昼からの中途半端な出発時間なので 何も食べていないかもしれないのでおにぎりを作って持っていく。
昼は食べたか聞いてみるとやはり何も食べていないらしい。おにぎり持ってきてよかったと思った。イベント会場へ向かう車の中でおにぎりを渡して食べてもらった。すると 気管に入ったのか咽せだした。なかなか治まらず嘔吐してしまうのではないかとドキドキしていた。20分くらいはゲホゲホがおさまらず。このまま誤嚥性肺炎みたいなのになってしまったらどうしようと自分がおにぎりを持ってきたことを激しく後悔していた。
しかし会場に着くころにはなんとか治まってくれて本当にホッとした。米が硬かったのかな?嚥下の機能がまた落ちてきたのかな。。
食べているとよく咽せるがさらに酷くなってきたら食べ物はどうしたら良いのだろう。
私の父は他系統萎縮症⑦
4日ぶりに父の家へ行く。今朝は家族のお弁当用に多めに作った焼きそばを持参する。電話で在宅を確認して向かう。母はまだ帰宅していないらしい。
相変わらずシャッターは閉めたまま、洗濯も4日前に干したままの状態。
食器は水に浸けているのだが 4日分朝昼晩のコップと皿が溜まっていた。前と違うのは蓋付きの鍋の中に水がたっぷり入ったものがシンクにあった所だ。少しこびりついたものを見ると麺類のようだ。餅スープ以外にも食べたことを少し嬉しく思う。
父がQRコードが記載されたチラシを持ってきた。通販会社のチラシだ。ネット登録をしたいらしく どうやったら良いか分からないから教えてと言ってきた。これも嬉しいことだった。普段は面倒で絶対そんなことしないのに。
一緒に手順に沿って登録を進めて行くがメールアドレスが分からないのでまた次回に登録することにした。
今日の夕方から母のいるホテルへ行くそうなので3日程は安心かなと思う。
現時点の父は 食器洗い 洗濯 掃除を全くしない(しなければいけないという思いがゼロのように感じる)、ゴミの日を忘れるのでゴミ出しできていない、これらのことをできないのか 面倒でしないのかは本人にしか分からないが
食事は毎食何か食べているしトイレもできる、お風呂も何日かに1回は入っている。
これは自立しているということになるのか 疑問だ。
私の父は他系統萎縮症⑥ 父の食生活など
土日は仕事で 休みだった月曜日の今日も朝から娘の部活の引率で父に会いに行けそうにない。食事は朝はパン 昼夜は餅スープなんだろうな、洗濯たまってるんだろうな、 TVばかり観てるんだろうな、、誰とも会話せず、大丈夫かな。。。晴れで私が行けない日はLINEで 散歩に行ってねと入れるがちゃんと行ってるんだろうか。
最近夜間に救急車のサイレンがよく聞こえるがすぐ父ではないかなと心配になってしまう。
最近はずっとこんな気持ちだ。
他系統萎縮症の発症の初期症状って何かあるのかなとふと考えてみる。今更ではあるが昔の父を思い出してみる。
現在67歳。中学生で牛乳配達のアルバイトをしていたらしい。弁当は今でいう日の丸弁当みたいなシンプルなお弁当を学校へ持っていっていたと言っていた。蓋がしまらないくらいご飯をパンパンにつめて。
大病を罹ったことがない。片耳が聴こえないので聴こえるようにする手術をしたくらいだ。
風邪はほとんどひいたことがなく発熱も母と結婚してからおそらく一度だけではないかなと思っている。
なぜそう思うかというと 昔 父が体調がすぐれなく初めて体温を測った時があったそうだ。38.6度という数字を見て母に これは平熱か?と聞いたらしい。しかしそのまま会社に行ったらしい。。。その話以外に聞いたことがなく会社を休んだ時を一度も見たことがない。すごいなと思う。
それから昔から超TVっ子。家にいる時はずっとTVをつけている。野球などスポーツも好きだし時代劇もよくみていた。野球選手のNG大賞が大好きでゲラゲラと大笑いしながらTVの世界に入りこんでいたなあ。
私が小学生の頃は ドラえもんの映画に連れて行ってくれたり遊園地も時々連れていってくれた。映画館では必ず上映30分くらいするといびきをかいて眠っていた。遊園地でもいつも途中からベンチに座り眠っていた(園内で必ずビールを飲むからなのかもしれないが)。
親戚一同でワイワイご飯を食べるのが好き。
好きな食べ物は魚。海のすぐそばで産まれて育ち普段から魚料理が多かったからなのかな?
特に好きなのは刺身だが煮たり焼いたりなんでも綺麗にたいらげる。青魚好き。母は毎夕食には必ず1品私たちより多く 父の好きな魚料理などを出していたなあ。
野菜はあまり好まない。母が色々出しても嫌いな野菜だけを皿に残しよく母に文句を言われていた(子どもより子ども)。牛乳 チーズ 納豆は臭いと言って絶対に食べない。鶏肉はアレルギーが出るらしく食べない。
朝はパン食。母が作る具沢山のサンドイッチなどいつもしっかり食べていた。
晩酌は毎晩。ビールを飲んでいた。この一杯のために仕事を頑張っているという感じで美味しそうにのんでいたな。私が小学生の頃は瓶ビールを飲んでいたように記憶している。2本くらい飲んでいたような?
最近は発泡酒を1本飲んでいる。毎日ではないらしいが。。
運動はしているのを見たことがない。休みの日は予定がなければTVを観ながらゴロゴロお昼寝タイプだ。
面影はゼロだが 学生の頃は機械体操をやっていたのでムキムキだったらしい。
食生活面をざっくりとだが振り返ってみると魚好きは脳に良さそうだがそんなに関係ないのかな?野菜をあまり食べなかったから?でも全く食べないというわけではないが。。、
喫煙は若い時やめ それ以降吸っていない。
私が気になったのは食事よりも どこでもすぐ寝る所とTVに夢中になりすぎる所くらいだ。
まあ原因がわかっていれば難病なんて名前つくわけないか。。。父の症状が進む前に治療法が発見され完治できる病気にならないかな。。
私の父は他系統萎縮症⑤
今週は平日の休みが多かったので 休みのたびに父に連絡をして 弁当を作ったり前日のおかずを多めに作ったものを持って行く。
たいしたものは作れないから栄養面は自信がないが 毎食コーンスープに餅2つという組み合わせばかり食べているより少しはましだろうと思い 勝手に持って行っている。
仕事の日は持って行けないのでまたスープ餅ばかり食べているんだろうなと心配になる。
全ての病は食べ物からと最近知った。
玄米菜食 一日一食生活 無添加 肉は食べるななど 私もなかなかできていないが 目から鱗、健康だと思って摂取していたものが実はそうでなかったり。また普段食べているものがどこでどうやって作られているか 何が入っているか 何から出来ているか深く考えたこともなかった。 健康に良いとなるべく意識して食べてきた野菜も実は種の段階からそうではなかった(全てではないが)り、実は農薬がたくさん使われていたなど 知らないことが多すぎて自分が恥ずかしくなった。
私たち(私?)はもっと食に関心を持たなければいけないということがよくわかった。
父の病気も今までの食生活も関係しているんだろうと思っている。病気が発病してしまったのはもうどうしようもないが 食生活で治ることもあると知った。悪くなる速度が少しでも遅くなってほしい、できれば治ってほしい、そう願っている。しかし現状は 食生活改善は父だけでは難しい。
本当に母に戻ってきてもらいたい。私も自分の家庭と仕事があり掃除 洗濯 ごはん 2回ずつやっているような感じなので正直これからずっとこうだったらどうしようと不安だ。
私の父は他系統萎縮症④
先日 父が命からがらもらってきた紹介状を持ってかかりつけの耳鼻科医院へ。
徒歩では遠いので仕事が休みだった私と車で向かう。駐車場に着くと ちょっと聞いてくるわ!待っといてと言われ、張り切って中へ入っていく父。だがきっと状況が伝わりにくくて相手が困るだろうなと受付へ行ってみる。
案の定 受付の人は怪訝な顔で対応していた。父は発音がしにくく 声は大きいが何を言っているか伝わりにくい。父は自分でも伝わりにくいのが分かっているからゆっくり大きな声で話しているがなかなか伝わらない。
耳鼻科だから仕方ないのかもしれないが、脳に病気があり 少し認知症もあるのでこういう話し方になってしまうのが全く理解できない 迷惑という感じで対応されているのが なんだか悲しかった。特に医療関係の方だから余計にそう感じてしまった。
何もかも私がやってしまう方が簡単だとは思うが まだ喋れるし 少し迷惑をかけるが出来ることまで奪ってしまわないように気をつけようとは思っているが 線引きが難しい。
お店や病院など 他人と会話しなければいけない状況でなかなか伝わらない時 父が一人の時はどうしたらスムーズにコミュニケーションをとることができるのだろう。メモに書く?くらいしか思いつかない。しかし、そうするとますます発音する機会が減って状況は悪くなる一方だなと思ってしまう。仕方ないのかな。
他の系統萎縮症の方はどのようにされているのだろう。。
#他系統萎縮症 #難病 #父
私の父は他系統萎縮症③
父は母がいない間 ずっと一人なのかと思っていたら
聞くと父も時々母のホテルへ行って 何日かしたら戻るという生活をしているそう。
それを聞いて少しホッとした。
翌日 父の用事で車で出かけている時に ふと、そういえば昨日 「お向かいの〇〇さんが自転車を家に上げてくれたなあ」と話してくれた。怪我はその時にしたのかもと言っていた。
うちの実家は自転車を家の外の駐車場に置いておくとよく盗られる。駅までの通り道だからパッと盗られるのかなと。チェーンをかけたり対策しても盗られるから(原付もやられた)階段を上がって自宅の敷地内に駐輪している。その作業がなかなか大変なのである。なので自転車を自分で道路まで降ろせたというのが奇跡に近い。ましてや綺麗に片付けてあったので この父が??と疑問だらけだった。
それにしても自転車で1時間半かけて病院へ行くなんてまさかまさかである。考えもしなかった。しばらく1人だったのも知らなかった。
昨日の父は血だらけだったので病院への行き道で怪我をしたのなら病院の先生が手当してくれるはずだから 帰り道でできた傷なんだろうなとは思っていた。話を聞くうちに 自宅に着いて自転車を運ぼうと階段を上がる時にこけたような気がすると言いだしたので もしそうだとしたら転けてひっくり返った所をお向かいさんが偶然か もしくは音を聞いてびっくりして助けてくれたのかもしれない。父はちょうどお向かいさんが通りかかって、、と話していたがおそらくびっくりして助けに来てくれたんだと思う。またお礼に伺おうと思う。
父の用事が終わり、買い物へ行こうと父を誘う。昨日血だらけになってしまったが 洗濯が出来ないお気に入りのクッション(すぐ疲れるから寝転ぶ用の長いクッション)を新調しようと思っていたからだ。
ショッピングモールが近かったのでそこへ行く。お店をあちこち探して 今まで使っていたクッションに似ているが若干短いのを購入。
父は笑顔はほぼ見せなくなっていて ずっと一緒の表情をしているし 感情があまり分からなくなってきているので 喜んでいたのかどうかよくわからなかったが 毎日ねっ転がっているようなので購入してよかったと思う。
それから昼を食べて帰ろうと言ってくれたのでお店を探す。
ご飯とお味噌汁が美味しそうな定食屋があったのでそこに決めた。
父はあったかいそばと海鮮丼のセットを注文。それぞれの注文が届き ありがたく頂く。
ふと父を見ると 食べる速度が以前に比べて格段に遅くなっていることに気がついた。以前は私が半分食べた頃には食べ終え 早く店を出たそうにしていたが 今は私が食べ終えてもようやく半分くらい食べたという感じになっていた。早食いのせいなのかよく気管に詰まらせてむせていたがそれはなくなっていたが 時々米を一粒一粒つまんで食べたり口の咀嚼がゆっくりだったりかなりゆっくりになっていて驚いた。意識してゆっくり食べているという様子ではなかった。病気がまた少し進行しているのかなと不安になった。
私は食べ終わったので お茶をすすり父を見ながら あと何回くらいこうやって一緒にご飯を食べることができるんだろうと寂しくなった。じわりと涙が出てきたので慌ててマスクをつけた。
④へ続く
#他系統萎縮症 #指定難病 #父